中国人たちは・・・・「将来のあるべき姿」を先に考える
最近のアップル社の躍進で日本のメーカー、とりわけSONYが最大の被害を被っている。
このアップル社を眺めてみると、日本人にとって、異質性の面でとにかく目立つ。
異質を愛する。そうでなければアップル社の社員は長くは勤まらない雰囲気すらあるようだ。
日本企業で求められる特質、空気を読んで、皆とおなじに生きていく事は、ここでは敗者になる。
例えば、私も昔あるメーカーに入社して研究部に配属された。先輩達と新製品開発を研究するのがミッションだった。
当時、日本の大手テレビ製造電機メーカーではその原材料の多くがアメリカからの輸入品に頼っていた。輸入される原材料のどれをみても高価であり、さらには、輸入品であるが為に供給上の不安もあって、下請け企業や関連企業に輸入原材料と同等製品の国産化(聞こえは良いが、物真似商品をつくる)が求められていた時代だった。
当時はKODAKと云えば、世界の写真関連材料市場ではドイツメーカーと二分していた
超大手の材料メーカーであった。いまでは破産してしまい、日本国内ではその姿『店舗』を見ることができない。
上海に来て、このKODAK の店舗があったのだ。
懐かしさがいっぱいで、しばし、この店の前で留まり写真などを撮影した。
中には人影も無く、大企業の衰退した姿、そのわびしさを見てしまった。
当時、自分がKODAK製品を国産化する研究をしていた頃の青春時代を思い出した。
研究生活をしていたころ・・・・その先輩たち、彼らは今何をしているのだろうか?
いま、どのような生活をおくっているのだろうか? 帰国したら当時の先輩達を訪ねてみようとも思っている。
私は当時、入社式の前、すなわち、1月ごろからその企業に通い始めた。それは、学生時代にすべきことは、ひと通り終えたと云う自負があったからだ。当時の収入は今の上海の新卒と同じなのは偶然なのだろうか? まるでタイムスリップしたようだ。不思議な気がする。
さて、多くの学友たちは最後の学生生活を満喫するために旅に行く者、麻雀で明け暮れる者、さまざまな学生生活を送っていた。これが普通であり、将来、定年まで勤める会社に先走って行く学生などはいなかった。
当時は定年まで勤めるのが常識の時代(ほとんどの先輩達は定年まで勤め上げた)であった。しかし、私は全く根拠もなく自分流にゴールを先に決めしまった。
其れは、高校時代に某衛生試験所でインターンをしていたころ、定年間近のサラリーマン達の姿を毎日見ていた結果、サラリーマンの生活スタイルに幻滅してしまったのだ。
皆さんはこんな経験をしていないだろうか?
だから、私はゴールを「10年後に退社しよう」と決めた。
何の根拠も無く。
その先は考えてはいなかったが、実際、そうなってしまった。その後は、取り返しのつかない人生を一歩、一歩、歩んでいる。
さて、話を私が仮入社したころに戻そう。
当時の担当課長は突然に新人が仮入社してきたが、その仕事を用意していなかった。
そこで手っとり早く、地方出のA君(工業高校卒で30歳)の下に配属した。
彼は10年のベテラン社員であり、新製品開発の研究を一人でしていた、その助手となり、彼のいわれるままに毎日、仕事をした。
少し慣れたころ、おそるおそる、自分の好きな配合割合で試供品を製造してよいかたずねた。彼には反対する理由も無く、即座にOKしてくれた。これが数カ月の新製品で世の中に出ていくとも知らずに・・・。
研究と云う仕事は、そのほとんどで、ゴールだけが明確に見えている職種です。
例えば、宇宙開発でも「多くの人間を月に移住させて、永久に生活出来る環境を作る。」
これをテーマにしたとしよう。実際に研究されています。でも、これを完成させるには
無限の方法があるし、必ず、このテーマが完成してそのゴールに到達できるとは限らないのです。
その失敗確率は99.999%であり、成功率はわずかに0.001%もあればよい方なのです。
でも、そのゴールは誰の目にも明確に見えているので、研究者たちは仕事が出来るのです。
実は、日本人は・・・・毎日を悶々と生きていて、そのなかで、人生を考え、転職先の悩みを持っている。自分のゴールを先に作ろうとしない。ただ、彼らはゴールと「夢」とを勘違いしながら、「果てしない夢」を毎日、思い描いているだけです。その差とは何か?
この「差 」を知っている人と、知らない人では長い人生では大きな差になってきます。
アップル社はまさにゴールが先にある企業なのです。その結果、製品開発のプロセスもユニークである。
まず、製品の外形を完成させてしまう。それが決まってから内部の細かな回路
設計に入る。出来た製品は自分では製造しない。通常の日本の企業が取り組む方法とは全く逆なのである。
上海に住み始め、ちょうど2年過ぎた。ビジネスで多くの日本人、中国人、インド人・・・・いろいろな国々の人と出会う。
日本人は細かな事を調べ上げ、研究し、それを積み木のように並び変え、組み立てて仕事を完成していく。その結果、毎日、忙しい状態が半永久的に続き残業、日曜出勤が当たり前になっている。あるいは、製品が完成した頃には過去の市場とは違った仕様の製品が求められてしまい、市場の変化についていけずに多くの日本製品は製品自体が確かに良くできているのだが、売れずに破棄される。
こちらに来て、中国人のトップと付き合うと、彼は即座に、ゴールを決めてから商談を始め、ここから取りかかっていく。
そして、そのうち細かくなっていく部分は日本企業の駐在員を呼び、価格交渉でも勝ち誇り、その後、日本人達は細部をこまかに解決していくことを約束する。ここでも、日本企業同志の競争がどうしても発生してしまうので結局のところ、日本の企業は安く請け負ってしまう。そのあおりを食うのが、日本に住む、従業員たちで今後とも彼らの厳しさは変わらない。
当然、日本人は普段、この私の文章とは全く逆の見方をしている。
自分目線から見た中国社会とでもいうべきか?
そのうち、ビジネスで儲かるところ、美味しいところは中国人が勝ち誇るであろう。世界はいま、こんなグローバル社会へと向かっている。全く新たな流れが見え初めてきた。
いまでのグローバルの意味合いは、以前では〝アメリカ化”の意味だったが、これとは異なりその意味合いはかなりずれ始めてきている。
グローバル世界で仕事するには物事を結論から話せて、中国語と英語の二ヵ国語は必須で、それもビジネスレベルが要求されるし、日本語は全く通じない世界になっている。ここで、ビジネス界では、日常会話レベルの英語ではかなり無理があることを伝えておきたい。
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中国人たちは・・・・
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